mother

そういえば母の日は一週間おくれでふたりで出かけたのだった。と言ってもとなり町のショッピングモールだけれど。

お昼ごはんをどこかで食べてから行こうか、ということになり、わりといいんじゃないかな、とめぼしをつけていたお店に行くも、みごとに満席。駐車場にも入れなかった。そこまでしてランチに時間をかけていられなかったので、モール内で食べることにする。でもフードコートしかなかったような、、、と思いつつ進んでいったら、奥の奥のおくのほうにひっそりといくつかの店舗が!びっくりした。そこだけ時がとまっているかのよう。・・・なんとなくここだよね、というお店に入り、でも私たちのほかにお客はおらず、アルバイト店員さんの流れるようなしゃべりかたに半分ハテナマークで苦笑い。「もっとはっきりしゃべりなよねえ!」なんて言いつつ、でも居たたまれない気持ちにならないのは、一緒にいるのが母だったから。
・・・文句が書きたいのではなくて。
味のしないパスタを食べながら、私はもうさびしくなっていた。たいていそう。実家に帰るときはこんな気持ちにはならないのに、どこかへ出かけるととたんにさびしくなる。今が、今このときが、今日の夜には思い出になってしまう。何年かあとには、そういえば昔あんなお店で食べたよなあって振り返って、胸が締め付けられるときがくる。私はそうなるのがさびしい。こわい。こんな気持ちはもうずーっと昔からじぶんの中にある。たぶん小学校に入るまえから。
私は母のことが大好きなのだ。たぶん、ものすごく、依存してる。でも周りには(そして母自身にも)そうは見えていないと思う。私たちは長電話したり同じ服を貸し借りするような友達みたいな母娘ではない。かといってケンカしたり反抗した記憶もなくて、ドライな関係でもない。いったいなんと表したらいいんだろう? ただ、いつだってそこにいて、味方でいてくれるひと。そして、母もまたムスメの私のことは(3人の子どもの中で)いちばん近い存在だって思ってくれている、そう感じてる。
母は4人兄弟の末っ子で、上の兄たちが結婚して同じ家に住むようになり、早くじぶんも結婚して家を出たかったらしい。そして21歳でお見合いして22歳で私たちを産んだ。いつも若い母が自慢だったけれど、よくまあそんな年齢で夫の(それもお見合いの)(偏見があるわけではなくて、まだよく知らないのに、という意味で)両親と夫の兄弟*1と生活できたなあと思う。母の人懐っこくてチャーミングな性格が、それらのことをうまく乗り越えさせたんだろうな。私は母のようになりたい。
・・・感傷的な日記にとくに意味はなくて、母はいたって元気だし、昨日も会ったばかり。最近ジムに通い始めたのでトレーニングウェアをプレゼントした。まだまだ元気でいてほしいよ。私はまだ何ひとつ親孝行できていないから。そこにいてあたりまえ、だけど、いつかいなくなるってわかってる。でも、みそじを超えた私はいまだに子どものような気持ちを抱えて、どうかこの日々がいつまでも続きますようにと願っているのだった。情けないけれど。。。

*1:私の叔父、叔母