コミュニケーションツール

おとといのNHKで、ミクシ、ついった、FB、それぞれの特徴やそれらが今後どう展開していくのか、みたいなことを特集していておもしろかった。録画しておけばよかった。
私は、ミクシはコミュを閲覧するだけ、ついったは登録しただけでつぶやいたことなし、で、ブログ(というよりダイアリと呼びたい)の居心地がいちばん気に入っているのだけど、ついに先日、FBデビューしてしまった・・・!
もともとよく集まるメンバー(ダンナ含む)がFBで交流していることは知っていたけれど、私はあんまり魅力を感じていなかった。この期に及んで、知り合いに何を公表すればいいのかわからない。しかも実名ときた。オープンなのクローズなのどっちなの。検索すればすぐに知り合いは見つかるだろうし、私のことも簡単に見つけられる。ニックネームで居心地良くやってきたダイアリと勝手が違いすぎてとまどう。なんていうか、身ひとつで飛びこんでるかんじがして、こわい。とてもじゃないけど、気軽にアップなんてできないと思った。しかもこれ、知り合いじゃないですか?って親切にお知らせしてくれるもんだから、この先私が高校時代の友人とつながったりしたら、芋づる式にあの人に出会ってしまうんじゃないかという心配と隣り合わせ。いやだ!なにこれ!こわい・・・!!
なので、ほとんど活用せずの状態だった。ところが、その番組で、専門家(?)の先生がこう話していた。

「ミクシは体験の共有、FBは情報の共有」

そっか・・・!
あそこに書き込むのはリアルな近況。いわゆる回覧板や掲示板みたいなものだ。だから安否確認の場にもなりうる。ついったやってない私にはちょうどいいのかも(災害時にほんとうに役に立つのかは分からないけれど)。無理に趣味嗜好を晒す必要はないんだと思うと気が楽になってきた。でもそうだとしても、やっぱり書くことがないな。近しい人にそうまでして伝えたいことが、今のところ思い浮かばない・・・。けっきょく活用頻度は低そう。
 
書いたものを読んでもらいたい、考えを知ってもらいたい。そういう他人に共感してもらいたい願望と、恥ずかしさや怖さってどちらも常にあって。それがちょうどよく満たされるのが匿名性の高いブログやついったなのかなと思う。自己満足に過ぎないといえばそうなんだけど。でも私は顔を知らなくても、すてきだなと思ってる方の体験したことや考えてること、日常のちょっとしたひとこまが垣間見れるブログがすごく好き。もしかしたら脚色されてたりするかもしれないけど、だとしても、その人の価値観や感性はそのまま反映されてるんじゃないかなあ。ことばの選び方は取り繕うことができないと思うから。神経が疲れちゃってるとき、好きなブロガーさんの文章を求めてアンテナのぞくくらい、なくてはならないものになってしまっている。立派なひとつの「読みもの」だ。いわゆる「日記」なら、ほんとかどうかはあまり重要じゃないのかも。
 
それにしても。私、日本人にはFBってなじまないと思っていたのに。なんだか意外、という思いがすごーく、あるのでした。