育った環境

お盆やすみ後半は、ダンナ方の実家で過ごした。姪っ子も甥っ子もかわいくてたまらない。「○○ちゃんきてー」なんて呼ばれたら、ぎゅうううって抱きしめたくなる。「お/お/か/み/こ/ど/も〜」で、子どもが感情むき出しになると変身してしまう場面があるけれど、ちょっとだけそれに近いものを感じた。とくに2歳の姪っ子は「にんげん」っていうより「どうぶつ」に近いような、ずっと観察していたくなるようなふしぎな子で、これからどんなふうに成長していくのか、楽しみ。でもこのまま時が止まっていてほしいなあとも思う。勝手だね。
 
なんというか、あちらの実家へ行くと私のキャパを超えたいろいろがどばどばーっと入ってきて、それらはどれも素晴らしいものなんだけれど、時々どうしたらいいのか分からなくなる。だって、まるでサ/マ/ー/ウ/ォ/ー/ズやト/ト/ロの世界みたいなのだ。川で遊んでオ/オ/サ/ン/シ/ョ/ウ/ウ/オを発見したり*1、軽トラの荷台に乗ってカニを探しに出かけたり、正午にはみんなで黙祷をして*2、お義母さんの誕生日のお祝いの歌をうたってケーキを食べて、大雨が降ったあとにはご近所から電話がかかってきて「にわとりがヒヨコ3匹を連れて逃げたんだけど、見かけませんでしたか?」。。。ダンナはこういうところで育ってきたのだな。じぶんも幼い頃からいろいろな体験をさせてもらってきたけれど、少しずつ薄れていってしまった人や自然とのつながりがそこにはまだ色濃く残っていて、私はこの年になってふたたび、新鮮な驚きや喜び、ある種の怖さのようなものまで味わっているのだった。
 
 

意思疎通がうまくいかなくて、もうほんっとーに分かり合えない、なんでこのひとと結婚しちゃったんだろう、一生このひとと暮らしていかなくてはならないなんて!絶望!・・・・・・と思うことだって、ある。何度かある。きっとこれからもある。でもあの環境、両親、きょうだいに囲まれて育った、っていうベースがあるから、最後の最後、ギリギリのところでダンナという人のことを信じていられる、というのはあるかもしれないな。(もちろんそれでも傷ついたりするし、もやもやが残ることもある。私は粘着質だから忘れないんだけどね!)(次エントリに続く・・・)

*1:お義兄さんがタモで捕まえた・・・!

*2:15日だったので